ひきこもり

斎藤 環 (精神科医 筑波大学教授 こころのドア船橋スーパーバイザー)

社会的ひきこもりとは

2000年2月に発覚した新潟県柏崎市の少女監禁事件では、37歳の容疑者が十数年余におよぶ「ひきこもり」状態にあったと報じられた。高校卒業後、数ヶ月間就労したものの些細なきっかけで退職した彼は、以後まったく就労せず、自室にこもりきりの生活を送っていたと言われる。うまが合わない高齢の父親は施設に預け、保険の外交員として働く母親を奴隷のように使役し、気に入らないと家庭内暴力をふるう。容疑者は父親の死後、母親と監禁していた少女以外には友人もおらず、誰とも対人関係を結ばずに生活していた。

思春期・青年期の精神医学領域で、近年こうした問題行動としての「ひきこもり」が取り上げられることが多くなった。ほぼ同義語として「閉じこもり」「アパシー」1)「非分裂病性ひきこもり」2)「無気力症」などがあるが、いまだ正式な呼称は存在しない。私は一昨年上梓した著書中3)で「社会的ひきこもり」という言葉を用いたが、これはアメリカ精神医学会の編纂した診断と統計のためのマニュアル「DSM-IV」の中で、 "social withdrawal"と呼ばれる症状名の直訳である。DSM-IVの普及率や、比較的ニュートラルな名称なので受容されやすいと考えて採用した。どのように呼ぶにせよ、この概念の普及のためには、呼称のレヴェルでの統一が待たれるところではある。

「社会的ひきこもり」は診断名ではない。これを臨床単位とみなすことは出来ない。それは「不登校」が臨床単位ではないのとほぼ同じ理由からである。それは一つの状態像であり、問題群である。精神医学の中で類似の概念を見つけるなら、「アルコール関連性障害」がもっともこれに近い。これは「アルコール」をめぐって生ずる依存症、臓器障害、暴力、交通事故などといった、精神・身体・社会など複数の領域にまたがる諸問題の総称である。私の考える「社会的ひきこもり」の問題は、「ひきこもり関連性障害」として理解することが、さしあたり最も正確であるように思われる。

ともあれ私は、著書の中で「社会的ひきこもり」を下記のように定義づけた。

20代後半までに問題化 6カ月以上、自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続 ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくい

この三項目をみたす事例が「社会的ひきこもり」と呼ばれることになる。わずかこれだけの定義を満たすにすぎない事例群が、きわめて似通った状態像と経過を呈することは注目に値する。男性事例が8割と圧倒的に多いが、一定の性格傾向や家庭環境との結びつきは弱い。どのような家庭においても、どのような子供であっても、ひきこもりは起こりうると述べることが、もっとも正確であろう。

もちろんこれのみでは、いささかイメージしにくいかもしれない。典型例は「不登校の大人版」である。実際、問題の初発は不登校ではじまるケースが多い。こうした事例が立ち直るチャンスを逸したまま学籍を失い、成人してしまった場合、その事例の呼称は「不登校」から「社会的ひきこもり」に変わる。  不登校が13万人、パラサイト・シングル1000万人(親と同居している独身の成人)という時代にあって、ひきこもり事例の数も確実に増加している。私の推定では、ごく控えめに見ても数十万人、しかし個人的印象からはとうに100万人は越えたと考えている。これはすでに社会現象と言って良いようなレヴェルであり、それゆえ対応も規模を大きくして考えておかねばならないだろう。

「社会的ひきこもり」と随伴症状

「社会的ひきこもり」には、多彩な症状が随伴する。ほぼ頻度順に列挙すると、対人恐怖(自己臭、醜形恐怖を含む)、被害関係念慮、強迫症状、家庭内暴力、不眠、抑うつ気分、自殺念慮、摂食障害、心身症状、心気症状、などがある。

対人恐怖は全体の約八割に認められる。とりわけ近隣の住民やかつての同級生など、多少は顔見知りの相手をもっとも怖れる。しかし、家族やごく親密な相手に対しては、ほとんど緊張は起こらない。対人恐怖症状は、このように単純に緊張や不安を訴えるタイプの他にも、さまざまな形を取る。なかでも近年多いのは「自己臭」である。これは自分の身体からいやな臭いが出ているために、そばに来た人がみな離れていってしまうと訴えるものである。また公共の場で周囲の視線を気にする「視線恐怖」、そして最近増加傾向にあるのは「醜形恐怖」である。これは文字通り、自分が醜い顔をしており、このため人々が自分を忌避すると称して閉じこもる事例である。また、軽い被害関係念慮、とりわけ近隣の住民に対するそれは、こうした対人恐怖から発展することが多い。

強迫症状としては、もっとも多いのが不潔恐怖を伴う洗浄強迫である。家族がふれたチャンネルのリモコンやドアノブなどに手を触れまいとして、うっかり触れた場合は長時間の手洗いを繰り返す、という形をとることが多い。ほかにも強迫症状は、何らかの儀式的行為や言葉のタブーなど、さまざまな強いこだわりとして出現することがある。

家庭内暴力は約半数の事例でみられ、こちらも深刻な問題である。本人はしばしば退行し幼稚化しており、普段は母親のそばを片時も離れず生活し、しかし親の態度が気に入らなければ、激怒して暴れだす。壁に穴があき、家具は破壊され、親自身も骨折するなど、暴力はしばしばエスカレートする。深刻化すると、親殺し・子殺しといった事件につながる場合もあり、早期に適切な対応が必要となる。

抑うつ気分や希死念慮の訴えもよくみられるが、よく訴えを聴いてみると、実際の抑うつ気分とは異なっていることが多い。すくなくともうつ状態のときの、「後の祭り」感、「取り返しがつかない」といった感じではなく、むしろやりなおしへの願望の方が強い。抑うつ感とみえたものは、実は空虚感であり、自己愛は保たれている。それゆえ純粋なひきこもり事例が自殺に至ることはほとんどない。

さて、以上の症状はいずれも「ひきこもり」から二次的に生じた症状と考えられるが、その根拠は以下の通りである。

いずれの症状も、「ひきこもり」のはじまりと前後して起こる。 いずれの症状も、「ひきこもり」の長期化とともに増悪する。 入院など、なんらかの理由で「ひきこもり」状態が中断させられると、これらの症状は急速に改善、ないし消失する。 いったん消失した症状も、「ひきこもり」状態が再開されると、ふたたび出現する。

たとえば家庭内暴力について良く知られているように、患者が問題行動を呈するのは、あくまでも家庭内に限られ、家庭の外でも暴力に及ぶ事例はほとんどない。あるいは「強迫症状」についても同様のことが指摘できる。本来、強迫神経症という疾患はかなり治療抵抗性であり、環境の変化程度で症状が改善されることは期待できない。しかし、ひきこもり事例に伴う強迫症状は、入院などの環境変化であっさり消失してしまう。これ以外の諸症状も、その大半は他人の介入や治療環境の変化で劇的に改善する。それゆえ、これらの症状が一次的か二次的なものか、という診断的な難しさはあるものの、ひきこもりの随伴症状であるなら、治療はそれほど困難ではない。

治療的対応について

「社会的ひきこもり」は困難な問題ではあるが、けっして対応が不可能というわけではない。正確な情報と、正しい対応を貫き通すだけの両親の覚悟さえあれば、社会復帰は時間の問題である。それゆえ困難はむしろ、対応機関の乏しさ、流通する情報の不正確さ、あるいは両親の了解の悪さ、覚悟と根気の乏しさのほうにこそある。

社会的ひきこもりの治療は、段階的に進められる必要がある。はじめにおおざっぱな見取りを示すなら、まず最初に、家族、とりわけ両親がこの問題について十分に理解し、正確に認識する段階がある。理解が十分になされたら、今度は家庭内の環境調整がなされなければならない。本人がリラックスして生活でき、両親に対しても信頼感が高まってきたら、本人との会話によるコミュニケーションを充実させていく必要がある。これと並行して、両親のみの治療相談を進めておき、本人にも徐々にうながしていく。本人を受診したら、当初は個人面接を通じて疎通性の向上をはかる。ついで社会復帰の第一歩として、たまり場的な場所やデイケアなどの利用があり、ここからアルバイト、就労と段階的に社会参加をステップアップしていく。

家族について言えば、とりわけ両親が重要であり、兄弟や親戚は、むしろかかわらないことが望ましい。ところが「社会的ひきこもり」状態が長期化していると、しばしば両親の関係にも問題が生じていることが珍しくない。問題解決にあたるためには、まず両親の夫婦関係を修復し、問題への共通の理解と、対応方針の一致をみておく必要がある。実を言えば、この段階でつまずく家族がきわめて多い。しばしば問題とされるのは、「本人をどうするか」以前に、「理解のない父親(あるいは母親)をどう説得するか」である。私は家族療法家ではないので、このテクニックについてはあまり自信がない。さしあたりパートナーの態度を変更させるには、まずみずから率先して対応を実践すること、また根気強く話し合いと働きかけを継続していくことなどが有効であろう。このほか、勉強会や家族会に両親そろって参加することも、理解を深め、変化を起こす上では有意義である。

両親間の協力態勢が欠かせないのは、本人への誤った対応を中止し、悪い刺激を根絶することから対応を開始するためである。いうまでもなく、慢性化したひきこもり状態に対して説得・議論・叱咤激励は有害無益なものでしかない。本人はこうした働きかけを徹底して忌避し、それでも働きかけをやめない両親に対しては、強い不信感ないし家庭内暴力によって対抗しようとする。しかし本人との信頼関係を再建することなくして、治療は成立しない。信頼関係を築くためには、まず両親が、本人のひきこもり状態をまるごと受容する必要がある。すでに起こってしまったものとしてその存在を認め、性急に否認しないこと。ひきこもりそのものへの批判をせずに、本人と向き合い、対話を試みること。これによって本人は、それまでの肩身の狭い居候気分から抜けだし、居場所を与えられ、リラックスして過ごせるようになる。

「リラックスさせたりしたら、ますます居心地が良くなって、ひきこもり状態が続いてしまうのでは」という疑問に対しては、本人自身が自分のひきこもり状態に満足することは決してあり得ないという事実で答えよう。まず本人自身が、誰よりもひきこもり状態を恥じていることを、もう一度強調しておこう。それが事実かどうかはともなく、本人の状態を「怠け」「わがまま」「甘え」とみなしているうちは、治療そのものが成立しないからである。

両親間の問題解決と並行して、本人と両親のコミュニケーションを活発化する必要がある。この点についても、治療開始の時点では、ほとんど断絶に等しい状態が何年間も続いていることが少なくない。その努力はしばしば、砂漠を緑化することにも似て、土壌を活性化し、種を蒔き、芽吹くことをひたすら信じて待ち続ける行為になぞらえることができよう。しかし不自然さをおそれず、正面から本人に向かい合い、言葉による働きかけを続けていくことで、会話を復活することは可能となる。私が本人の単身生活を推奨しないのは、別居状態ではこの段階を越えられなくなるためである。いくつかの具体的な留意点を述べておこう。いやしくもコミュニケーションを目指すからには「相互性」を重視すべきである。そこで「言葉のキャッチボール」がなされているかどうか。また話題は自然にまかせて良いが、いくつかの「べからず」はある。本人が密かに恥じ、劣等感を持っている部分には、けっして触れるべきではない。具体的には将来の話、学校の話、同世代の友人の話、などである。逆に話題として良いのは、時事問題、芸能界、趣味の話題などである。本人はしばしば社会的な関心が高く、かなりニュースなどについても詳細に知っていることがある。社会情勢などについて本人の意見を求めると、喜んで応じてくれる場合も少なくない。

コミュニケーションにおいて重要なのは「会話」であり、会話以外は問題にならない。また、会話は正攻法でわかりやすく、単純なものであることが望ましい。例えば父親はしばしば、権威的な物言いが癖になっている。あたかも世間の代表であるかのような表現、たとえば「世間ではこれがあたりまえだ」「そんなことは社会では通用しない」などと言った言い回しは、それだけで本人を不愉快にさせてしまう。あくまでも「お父さん個人はこう思うんだけど」といった個人的、かつぼかした表現のほうが、ずっと心に届く。また母親に多い問題としては、皮肉、嫌味などが自然に出てきてしまいがちであること。これらの悪い刺激は、しばしば家庭内暴力を誘発しているのだが、本人はそれに十分に気付いていない。こうした、不適切なコミュニケーションのスタイルもまた、両親の協力態勢のもと、徐々に改善を図りたい部分ではある。最終的な目標である、理想の家庭内コミュニケーションのイメージは、本人と両親との間で冗談がかわされることである。その過程はどうあれ、冗談が日常的に言い合える段階に至ったら、それまでの対応は正しかったと考えていいかも知れない。

精神科治療への導入は、一歩間違えばそれまで築いた信頼関係を崩す可能性があるだけに、慎重になされなければならない。まず両親のみで、相談機関に相談に通い続ける必要がある。同時に、相談に通っている事実を本人にも伝えていく。最初は本人からの強い抵抗に出会う可能性もあるが、ここは「親のわがまま」で押し切る。このあたりの呼吸は微妙で、実は本人自身も治療の必要性を感じていることが多いのである。そのため最初は暴れんばかりに嫌がった本人が、次第に両親が相談に通うことを受け入れて文句を言わなくなり、ついには「今日はカウンセラーは何といっていたか」などと興味を示すようになる。しかし最初に出会った本人の抵抗を真に受けすぎて、結局治療の機会を逸し続けている家族も少なくない。

私の推定では、まったく治療的な援助なしで自然に立ち直った事例は皆無に近い。治療の必要性だけは譲れない一点として、親の意向を貫くべきであろう。ちなみに本人を誘う場合は、前日に誘うことはあまり勧められない。通院当日に声を掛け「一緒に行きましょう」と誘い、応じない場合はすぐに引っ込める。これを定期的に、ただし一ヶ月以上間隔を開けぬ程度に継続していく。これがきちんと続けられれば、いずれ本人が来院することも期待できる。 

本人が来院して以降の治療の流れについても、簡単に触れておく。私は勤務医として外来を担当しているが、なんら特殊な治療技法を用いていない。私が彼らとの面接において、もっとも重視しているのは、いかに彼らの内面に「波長合わせ」をするかということである。この言葉には共感→疎通性→治療への誘惑という過程が織り込まれている。つまり、彼らに継続的に通院して貰うためには、通院すれば何らかのメリットがありそうだと感じて貰う必要があるのだ。この段階に成功すれば、あとは時間の問題と言っていい。

ただし、個人精神療法にはおのずから限界がある。私は必要とあらば向精神薬も処方するし、入院治療を勧める場合もある。しかし現在のところ、もっとも治療上の成果を上げているのは「ひきこもりデイケア」の活動である。私の勤務するあしたの風クリニックでは、社会的ひきこもり事例に特化したデイケア活動を1999年から実施している。おそらく民間が施行するものとしては、全国でもはじめての試みである。参加者に恵まれ盛況が続いている。スタッフとしては看護師、ソーシャルワーカー、作業療法士と臨床心理士が加わり、プログラムとミーティングを中心にして活動が進められている。 通常のデイケア活動とは異なり、基本的にはリハビリテーションをさほど重視していない。むしろ社会的ひきこもり状態の若者同士が出会い、理解し合い、親密になるというきっかけを提供することに主眼をおいている。デイケア後に誘い合って食事や飲み会に向かったり、デイケア日以外にも約束しあって出かけたりなどの活動がしばしば報告される。メンバーの創意により、インターネット上に掲示板が作られ、週に一回チャットが開催され、またメーリングリストでも意見交換がなされている。さまざまなチャンネルで繋がりあうことで、それまで対人関係に消極的だった事例も、徐々に自信を回復していく。

おわりに

「社会的ひきこもり」をとりまく状況は、徐々に変わりつつあるとはいえ、依然として楽観は出来ない。精神科医の消極性は変わっておらず、対策事業なども当分は期待できそうにない。各地の精神保健福祉センターや保健所が、この問題に独自に取り組む姿勢を魅せている点は救いではあるのだが。筆者が早急に望むことは、さしあたり次の三点である。まず、社会全体の「社会的ひきこもり」への認知度をさらに高めること。次いで、ひとりでも多くの精神科医が、この問題に関心を持ち、治療に積極的に取り組むこと。そうした専門家による治療機関のほか、家族会や若者のたまり場を、最低各都道府県に一つは確保すること。以上が実現するだけでも、この困難な問題の解決にとって、きわめて大きな前進となりうるのである。

こころのドア船橋ではひきこもりの治療、ご家族の相談に経験豊富な臨床心理士が対応いたします。ひきこもりデイケアなど専門治療を長年実施しており、国内外からの専門家の実習も受け入れている医療機関「あしたの風クリニック」と協調しながら治療を行うことも可能です。

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